2016.04.01

鳴ったら乗るな、駆け込むな。

きっと私は大丈夫。

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一度「死語」となったかに見えた「見っともない」という言葉が、再び復活の兆しを見せているように思うのは気のせいでしょうか。長距離を走る特急でもない通勤電車の中での飲み食いとか、化粧品を取り出してスクラッチで顔を作るとかありますけど、日常的に見かける「ミットモナイ」は、駆け込み乗車だと思うのです。

特に発車の合図が鳴ってから駆け出す人が一番みっともないかな、と。いや、そもそも駆け込み乗車自体、危険なのでやめましょう、なんでそんなに急ぐんだろうか、と。合図が鳴ってから電車に駆け込みセーフすれば何か得した気分になれるとか、この電車に乗らないとクビになるとか、周りが駆けてるから何も考えずに同じことしたとか、理由について色々思っちゃうわけですが、おそらくご本人はそこまで考えていないのかもしれません。脊髄反射的に、「来た、鳴った、走った」と体が勝手に動いているだけかもしれませんね。みっともないです。

何で駆け出しちゃうんだろう。きっと自分だけは大丈夫、転ばない、絶対に転んだりしないんだから、大丈夫。きっと間に合う。絶対にドアが閉まる前に電車には乗れる。平気へいき。きっと私は大丈夫。で、ときどき失敗して鞄や傘やクツのかかとが「ガゴッ」とか挟まっちゃうんですよね。ドアが再開閉されて電車が走りだすと「発車の合図が鳴ってからの駆け込み乗車は大変危険ですからおやめください」なんて車内アナウンスが入ったりするんです。これ、あなたのことですよ? 

電車1つ分の待ち時間を得したかもしれませんが、それとは別に心が貧しくなってませんか? とか、声に出したりはしません。私は、そっと心の中で思うだけです。

けれども、これで電車が遅れたりするのは勘弁ねがいたいですね。そこで、発車の合図には小洒落たメロディーとかではなくて、聞いたら腰砕けになるような合図にしたらどうでしょう。たとえば、コントのオチに鳴らす「チャンチャン」のようなやつです。で、探したらありました。チャンチャカチャンのチャン、チャンです。これが鳴っているときに駆け込み乗車したら、相当失笑ものだと思うのですが、どうでしょうか。

【参考】 Shave and a Haircut

2016.03.31

実物を見るのが大切だ。

故障かな? と叩く世代と、叩かない世代

先日、職場で使っている NASの引っ越しがありました。NASについては、次の説明がわかりやすいかも。

NASとは、ネットワークに直接接続し、コンピュータなどからネットワークを通じてアクセスできる外部記憶装置(ストレージ)。 企業や家庭内のLANで共有ファイルなどの保存に利用されたり、デジタルビデオレコーダー(HDDレコーダーやBlu-rayレコーダー)が動画の保存先として利用したりする。
NASとは|ネットワークアタッチトストレージ|ネットワーク接続 ...
e-words.jp/w/NAS.html

とりあえず担当の若い人の横に機械を積み上げて、通電、ネットワーク接続と設定をやって、使えることを確認してシャットダウン。LANケーブルが無いので適当に調達してねー、とお任せ。

翌日、本格的に使おうとした若い人から「NASにLANケーブルをつないだけど見られない」とヘルプ。どれどれと行ってみると、かたわらの積み上げた NAS本体の電源のランプが消灯している。電源が入っていないのです。LANケーブルをつなげばすぐに使えると思ってたみたいですね。そこで話を訊いたりしてわかってきたのは、その若い人は装置の実物を見る必要なんてなくて、なんでも自分のパソコンの画面上で確認したりセットしたりできるのが当たり前と思い込んでいるようなのです。

まあ、確かに NASとかサーバのような機械類は、大概がデータセンターの奥にあるラックに収納されていて、普段は目に触れるようなものではありません。パソコンの画面上でも、良くてアイコンという象徴的なグラフィック、下手するとシステム設定の中に書き込まれた IPアドレスという文字の並びだけの場合もあるわけです。

なので、「つながらない」とか「見えない」といった障害が起きた時に使える情報が、ディスプレイに表示されているものだけに限られてしまうわけです。データセンターの中の機械類では仕方ないのでしょうけど。ただ、対応のレパートリーを広げるために、実物に手で触れるという経験は大切だろうとは思うのです。一度でもいいから、実物に手を触れたという、ちょっとした経験があるだけでも違ってくるのかもしれません。

私自身は「つかないなら叩け」世代ですから、実物を見たがるというクセがある。そして、見たものには触れてみる。触れたものはバラしてみる。動いている NASやサーバの出す空冷ファンの唸り音とか、かすかな振動や温かさ、サーバ室の独特の匂いのような、見たり触れたり嗅いだりしてきたことで。障害対応時の気持ちが幾分救われている気がします。

新年度が始まりますが、若い人も先ずは自分が仕事で使うパソコンやルーターの裏側を見たり、匂いをかいでみましょう。出来ればサーバ室の中も見せてもらって、サーバに触れてみるといいかもしれませんね。

2016.03.30

Chromeブラウザの新規ウィンドウの位置に違和感。

仕事で使っている Windows7ではデフォルトのブラウザは IEですが、Googleの Chromeブラウザを普段使いのブラウザとして使い始めました。Firefoxが 45になってから、午後になると重たくなって使い物にならないからです。

Chromeブラウザで新しくウィンドウを開くと、直前のウィンドウの右下にずれて表示されるのに違和感を感じます。ウィンドウの高さ(=height)を一杯にして使っていますが、新規ウィンドウを開くたびにずんずんとウィンドウが右下に潜っていってしまいます。職場で、この違和感についての声を聞かないのですが、みんな気にならないのかな? 新規ウィンドウではなく、新規タブを開いて使っているのでしょうか。

私の使い方では、[Alt]+[Tab]でウィンドウを切り替えて仕事をするのが普通のスタイルなので、新規ウィンドウが便利なんですけど。

Firefoxでは水平にずれる

Firefoxで新しいウィンドウを開くと、右下にずれて表示されます。これはウィンドウの高さが、ディスプレイの高さよりも小さくて、ウィンドウの周囲にゆとりがあるときです。ウィンドウの高さを表示できる範囲いっぱいまで広げてやると、新しいウィンドウは右に水平にずれて表示されます。

ディスプレイの右端まで行って、このままではウィンドウの全てが表示しきれない=右側にはみ出してしまうときには、左側に表示され始めます。以降、右にずれながら表示されるのは最初と同じ。Firefoxは、開かれているウィンドウの大きさと、パソコンのディスプレイの大きさの関係を考えていることがわかります。

写真:Firefoxで複数のウィンドウを開いた場合

Chromeブラウザでは右下にずれる

Chromeブラウザでも新しいウィンドウを開くと右下にずれますが、ウィンドウの高さがディスプレイいっぱいいっぱいでも、構わず右下にずれていきます。どこまでもどこまでも……。そして、ディスプレイの右端まで行ってもそのまま……。(自宅の Windows10でも同じでした)

この理由というか原因は、

  1. Chromeは、ウィンドウの大きさとディスプレイの広さを考慮していない。
  2. 考慮しているけれども、新しいウィンドウを開くなんて使い方は想定していない。
  3. つまり、Chromeブラウザだけを愛して欲しい。

という Googleから利用者に向けてのラブコールなのかな? と。であれば、それに応えるためには、私たちは Chromebookを買わねばなりませんね、

写真:Chromeで複数のウィンドウを開いた場合

2016.03.29

「落ち神さん、来てるね」

世界理解装置としての「神様」。落ち神さんとか祟り神さんとか憑くとか

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( By SC36 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19810911 )

我が家には、よく「神様」がやってきます。いわゆる「貧乏神」さんとか「祟り神」さんのたぐいで、我が家では「落ち神さん」と呼んでいます。なぜ「落ち」なのかというと、何かを取り落としたり、棚からモノが落ちたりといったことが立て続けに起こるからです。

心霊現象が起きているのではなく、単に取り扱う人間が疲れていたりとか不注意であったりとかが原因の、軽微な事故の連続なわけですが、うちではそれらを「落ち神さん」と呼んで気をつけるようにしています。

「ほら、落ち神さんが来てるよ。落とさないよう持っていきなさい」とか「落ち神さんが落とさないように、きちんとしまっておきなさい」のように、大体は子どもに注意を促したり、何か失敗したときに「あちゃ、落ち神さんが来てるわ!」と言い訳の代わりに使ったりしています。「落ち神さん」の親戚で「当たり神さん」というのも発明しました。こちらはモノや人をぶつけるのが専門です。

こういう「○○神」というのは、「八百万の神」とか「つくも神」を前提とした世界の見方かな、と思うのです。多神教というやつですね。でもって、世界全体が「八百万の神さまの世界」になりつつあるのかなとも思うわけです。「神」というのは、何かの因果関係を備えたブラックボックスを一言で言い表すのに便利な概念です。

入力→(ブラックボックス)→出力。

ブラックボックスの中では何かが起きているのですが、普通の人にはわかりません。でも、分からなくても困らないのです。確率的に何かを期待できる、ただそれだけで大方の人は納得できます。期待される何かを想定して、こちらも振舞えばいい、ただそれだけのことです。

IoT(モノのインターネット、Internet of Things)というのが「八百万の神」というブラックボックスとして、これからものすごい勢いで世界に広がるんじゃないか、そのとき、多神教的な考え方を背景としている私たちにとっては、日常生活に素早くしっくりと馴染むんじゃないかな、と思うわけです。(ただし、消費者としての日常生活にIoTが馴染むということ=IoTの提供者に食い物にされるんじゃないか――という危惧があることは気をつけておきましょう)

そして、ソーシャルグラフやAIのような、非・個人的な意志を背景としたコンピューティングの結果が、ますますそのような「八百万の神」さんに擬似的な人格を与えるようになるのかもしれません。そのとき、私たちはそこに神さまの「動機」のようなものを感じとるようになるのかもしれませんね。

2016.03.28

都市機能の仮想化が進む。

都市の上に Dockerの要領で街区を広げる


( By Morio - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16835714 )

「仮想化」については次の説明が簡潔かも。


仮想化とは、サーバーなどのハードウェア内のリソース(CPU、メモリ、ディスク)を、物理的な構成にとらわれずに、論理的に統合・分割できる技術のことです。
仮想化 - 日立システムズのVMwareソリューション
www.vsolution.jp/vmware/virtualization_guide/01/


本音と建前にたとえることも出来ると思うのです。建前では「コレコレの領分はコレコレのために使うんだよ」というのがあるわけですが、「でも、ちょっとソコ余ってんじゃん? だったら少し貸してよ」のような実際問題には「ま、いっか、お互い様だし」(=本音)という具合に。

かつてのハードウェアの時代には、一旦、何かの枠組を作ってしまうと、その枠組を越えたり、枠組を変更したりするのは難しかったわけですが、コンピュータの力でその辺の枠組がやわらかくなってきました。融通が利く、というやつです。UberとかAirbnbなんてのが分かりやすい例かと。

そうすると、いまは商品やサービスというものがやわらかくなってきていますが、それを容れる都市そのものが柔らかくなる=仮想化されているという景色が普通に見られるようになるのも時間の問題かと思うわけです。

基本的な都市のインフラの上に、暫定的に「○○地区」のようなものを設定して、たとえば期間限定でファブラボが集まった小規模の工場区域だったり、同じ地区があるときにはバイオ関連企業グループが集まってみたり、あるときには街区規模でアパレル系の展示スペースになったりといった具合に。

まるで都市の上にDockerを広げて色々な都市環境を実験的に試してみる、そしてそこには企業や組織だけでなく、そこで働く人や、その人達の家族(高齢者・子どもを含む)の居住空間も含めてみると、そこから得られる膨大な知見を将来の政策や行政に活かせるのではないかとも思うわけです。

その時、私たちは既にコンピュータやスマホといった端末装置=計算する箱に相対しているのではなく、既に「都市という計算する箱」の中に暮らしているわけです。部屋、町、都市といった重層的な物理的な箱が、その機能が固定されない仮想化された空間の中に。ただし、そこは「仮設」ではありません。恒久的にその機能を発揮し続けることも出来る、それなりの耐久性も備えていなければなりません。

すると、それらを組み込むための建物や敷地はどのように設計されるべきなんだろうか、などと考えてしまいました。おそらくは、最大公約数的な仕様として「バリアフリー」の視点が重要なのかなと。そこさえ押さえておけば、あとは上モノを取り替えるだけで素早く都市レベルでの実験が可能になるんじゃなかろうか、と思うわけです。「特区」なんかよりもずっと進行速度が早くて小回りが利く仕掛けです。

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